『サンマ』という名前の由来
サンマは秋を代表する魚として有名で、名前に「秋」という漢字が使われている魚です。ちなみに秋刀魚(さんま)という漢字の由来はシンプルで、秋によく釣れることと、細い身体が日本刀のように鋭い刀に見えることから『秋刀魚』という漢字で書かれるようになりました。
しかし、この「秋刀魚という漢字」が登場したのは近年になってからで、昔は「サイラ」「サマナ」という名で呼ばれていました。漢字にすると「佐伊羅魚」「狭真魚」と書き、特に「サマナ」が変化して「サンマ」と言うようになったというのが有力説です。
サンマは昔食べられていなかった?
サンマは日本人なら誰でもその名を知っているでしょう。その証拠に、サンマが旬を迎える秋になると、ニュースなどでも焼いたサンマや、色々なサンマを使った料理が紹介されています。ところが、サンマは江戸時代後半になるまでの間は、庶民さえ食べようとしない、格の低い魚として扱われていたのです。
江戸時代では、サンマは主に油を取るためだけに利用されていました。
今でこそ「あんな美味しい魚を食べないのか?」と疑問に持つかもしれません。しかし、当時は鮮度を維持をするのも難しい時代で調理の手間などもあり、なかなか庶民が食べる機会が無かったと考えられています。
謎多き魚 サンマの生態
今となっては日本人に親しまれているサンマですが、その生態には謎が多いといわれています。
まず、最近までサンマの寿命は四年前後と言われていました。しかし、最近の研究では、サンマはたった1~2年程度の寿命しかないということがわかりました。
最近では「アクアマリンふくしま」にて、サンマの飼育に成功し、サンマが卵を産むところまで育てることができました。今までサンマの産卵は冬の時期だと考えられていました。しかし、稚魚のサンマが成長して産卵するまでの期間はたった半年ということが分かりました。
サンマは短い寿命の中で、すぐに産卵できるようになるため、子孫を残す機会が多い魚といえます。現在ではサンマは一年中産卵をしていることがわかっています。
養殖しなくても、サンマを安定して供給できる理由は、サンマが一年中産卵する特性があるからです。
『サンマは目黒に限る』とは?
すでに説明したように江戸時代までは、サンマは庶民さえ食べない、油をとるためだけに消費されていました。
しかし、とある有名な落語にサンマが登場し、お殿様から絶賛された話があります。それが、『目黒のサンマ』という話です。
お殿様が狩りに出かけると、その日は良く獲物が取れたため、帰りの時間がかなり時間が遅くなってしまいました。お殿様や家来達は空腹を我慢できず、良い匂いがしている近くの庶民の家へと近づいていきました。どうやらその家ではサンマを焼いており、家来は「殿様が食べるような魚ではない」と食べることに反対しました。しかし、お腹が空きすぎていたお殿様は、家来の反対を押し切ってサンマを食べたのです。すると、殿様はそのサンマの味を気に入り、城に戻ってからもサンマを用意させて食べました。ところが、それは庶民が焼いたサンマの味に遠く及ばないものだったそうです。殿様が食べたサンマは目黒のサンマで、「綺麗に調理されたサンマよりも、目黒の庶民が焼いた魚の方が美味しい」と殿様は考えました。それから「サンマは目黒に限る」といったそうです。
この話は、「見た目にこだわって調理したものよりも、庶民が焼いたサンマの方が美味しい」という秋の話として有名です。格が高い殿様が庶民が食べていた魚の味も知らなかった、というおもしろい話ですね。
(Photo by Tomomarusan, tsuchiya.yoshihiro, Miya)