歴史情緒ある街を駆ける人力車
人力車はその名の通り、人を輸送するために人力で動かす乗り物です。京都や浅草などの歴史ある観光地では、今でも人力車が観光客を乗せて街を走る姿を見ることができるはずです。
人力車は略して「人力」、「力車」などとも言われます。
人力車の歴史
人力車は1848年ごろにアメリカの鍛冶職人であるアルバート・トルマンによって作られた宣教師の乗り物がその起源であるという説もありますが、日本の和泉要助、高山幸助、鈴木徳次郎が馬車を元にして1868年に開発したという記録が正式に明治政府に認定されています。しかし、様々な諸説もある上、人力車という乗り物の定義が争点となり、その起源は若干の曖昧さをもって語られることが多いようです。
日本で開発された人力車は、駕籠よりも移動が速く、かかるコストも馬よりも遥かに安価であることから、国内で急速に普及して行きました。この人力車の人気によって、それ以前は日本の代表的な公共交通手段の担い手として活躍していた多くの駕籠かきたちが職を失ったという記録が残っています。
特許制度に影響?人力車の普及
日本で絶大な人気を獲得した人力車は、中国をはじめとした東南アジア諸国に輸出されていくようになりました。前述した開発者の3人の後発の開発者たちがこの輸出によりかなりの利益を得たそうです。
しかし、当時は特許制度に大きな不備が存在していたため、開発者の3人はその特許料を全く得ることができませんでした。この事態が後に日本の特許制度を大きく発展させることになる要因となったと言われています。
歴史ある乗り物にはこういった法律的な背景への影響もあったということを考慮して見るとやはり興味深いものですね。
歴史の中の進化で快適な走りを
そうやって日本で開発され、今でも観光地などでその役割を発揮している人力車ですが、今日に至るまでに様々な改良が施されてきました。
緩衝のための施工として客席と車輪の間にバネが取りつけられたり、車輪は鉄輪からゴムタイヤとなったりと乗り心地を快適なものにするために多くの研究が重ねられました。車輪の泥除けや座席の形状の変化などもあり、人力車はとても快適な乗り物となったのです。
1877年にはメーターが搭載された人力車も開発されていたそうです。
京都や浅草などの観光地に赴いた際は、せっかくですので人力車の快適な走りで歴史的情緒を楽しんでみるのが良いかもしれませんね。
(Photo by Pearson Scott Foresman, 岡部碩道, world_waif from Otaru, Hokkaido)