アジサイが使われた芸術作品

アジサイは1000年以上前から世界中で愛されてきました。昔の日本の和歌でもアジサイがとりあげられています。万葉集ではアジサイに関して2首が詠まれており、その後も様々な人に詠まれてきました。

アジサイを題材にした歌も多いです。石原裕次郎の「あじさいの歌」、アリスの「紫陽花」、スピッツの「あじさい通り」などがあります。

他にも絵画の世界では、葛飾北斎が「あじさいに燕」(アジサイにツバメ)というテーマで絵を書いています。このようにアジサイを使った芸術作品が非常にたくさんあります。

シーボルトとアジサイ

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アジサイは日本で生まれ、海外の人にも大人気の美しい花です。鎖国時代にドイツ人医師のシーボルトが、オランダ人のフリをして出島(でじま)に滞在していた時、彼はアジサイについて研究していました。

彼は幕府からスパイ容疑をかけられ、国外追放となってしまいました。これが俗にいうシーボルト事件です。

シーボルトはドイツに帰る際、アジサイを持ち帰りました。その後、シーボルトは植物図鑑を編集しています。その時にアジサイの学名を「Hydrangea Hortensia Otaksa」(ヒドランジア ホルテンジア オタクサ)と名付けました。

このアジサイの学名に含まれている”オタクサ”という単語には深い理由があります。シーボルトが日本で結婚した女性の名前は楠本瀧(くすもとたき)という人で、あだ名が”お瀧さん(おたきさん)”でした。シーボルトが自分の奥さんの名前を、アジサイの学名に入れたと考えられています。

海外で生産されているアジサイ

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日本だと、アジサイは梅雨の時期に咲く、青紫色の花というイメージが強いです。しかし海外では、梅雨だけではなく春から初秋にかけて、いろいろな種類のアジサイが咲きます。東洋の花であるアジサイは、そのアジアらしい見た目がイギリスを中心に人気になり、”ハイドランジア”と言う名前の品種もつくられました。

現在”アイランドジア”は西洋アジサイとして、とても人気があります。この西洋アジサイは小花が集まって、大きな半球状の花になるのが特徴です。これらは、日本原産の”ガクアジサイ”を改良したもので、日本に逆輸入されました。イギリスでは19世紀ごろに、バリエーション豊かな赤いアジサイが栽培されるようになりました。

アジサイの色が変わる理由

アジサイは開花してからも色が変わり、七変化するといわれている珍しい花です。ツボミをつけたアジサイの花が咲き終わるまでに、薄緑色(うすみどりいろ)から、白、藍色(あいいろ)、淡紅色と、次第に変化していきます。みなさんがイメージするアジサイは、恐らく藍色のアジサイではないでしょうか。

アジサイの色が変化するのは、アントシアニンという色素や補助色素、そしてアルミニウムのバランスによって青や赤へと色が変わっていきます。このアントシアニンは育つ土壌によって色が変わります。アルカリ性の土壌の場合は赤みが強くなり、酸性の土壌ではアルミニウムの影響で青紫色になります。

また、アジサイの種類にもよっては、ずっと白いままという品種もあります。つまり、土壌だけでなく品種によってアジサイの色が変わります。なかなか思うようにアジサイの色を引き出せないのは、土壌の質やアジサイの種類が影響しているといえるでしょう。

(Photo by FASTILY, KENPEI, Qwert1234)

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