グライダーとハンググライダー
グライダーと言われて何を思い浮かべるでしょうか。ハンググライダーの方が思い浮かぶ人が多いかもしれません。グライダーもハンググライダーも滑空する航空機であると言う意味では同じものです。より古い時代に生まれたのはハンググライダーの方でした。
世界で初めて空気より重い飛行機で空を飛んだのがジョージ・ケイリー卿の御者と言われています。彼の飛行機、正確には、ケイリー卿が制作した飛行機が一種のハンググライダーでした。一種の、というのは、ハンググライダーは本来、グライダーから吊り下げられた状態で乗り滑空するものを指しますが、彼は手に持って滑空していたため、厳密には違うものになってしまうからです。では、ここからグライダーはどのように変わって行ったのでしょうか。
グライダー競技のはじまり
ハンググライダーから始まった空への挑戦は、エンジンを積んで飛行機へと向かう流れと動力をなしに空を飛ぶグライダーへと向かう流れとに分かれて行きます。とはいえ、飛行機へ向かわずグライダーへと向かったのはなぜなのでしょうか。
それは、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約を原因としてドイツで始まったものです。ヴェルサイユ条約は、ドイツに単座航空機の製造や飛行を厳しく制限しました。その結果、世界各国で飛行機の性能向上が進んだのに対して、ドイツでは効率の良いグライダーの開発をすることとなったのです。
最初はドイツから始まったグライダー競技は、またたく間に国際的な競技となって1936年のベルリンオリンピックではデモンストレーション競技になったほどです。しかし、第二次世界大戦によってグライダー競技は大部分が中断されることになります。
戦後のグライダー競技
第二次世界大戦が終わり、多くの国々でグライダーパイロットが飛行を続けたがっていました。彼らがグライダーと滑空活動を活性化し、世界各国でグライダー競技が復活し、沢山の新たなグライダーパイロットが生まれました。
ただ、戦後になってもオリンピックの種目には復活しませんでした。これは、戦後に残されたグライダー機数が少ないことと、競技に使う機種の合意が得られなかったためです。グライダーは、機種の設計によって記録が大幅に変わります。
そのため、単一の機種で競技をすることに対する抵抗感もあったのでしょう。かわりに、世界滑空選手権大会があり、2年ごとに行われています。そして、現在も沢山のグライダーパイロットが世界各国の空を飛んでいるのです。
(Photo by Wo st 01, Orf3us)