屋形船の始まりは鎌倉時代
船の上で食事や宴会を楽しめる屋形船。夏には花火大会のスポットになったり、冬には鍋をつついたりと、古くからの伝統として今に続いています。屋形船の定義を言いますと、15人~80人程度まで客を収容することが出来る船。且つ、座敷を備え、屋根が付いた船のことを指します。
別の呼び方で楼船(ろうせん)とも言います。楼閣(ろうかく)の楼です。楼(ろう)とは、遊女と遊ぶ場所や、ものみやぐらを指す意味があります。なるほど、宴会をして景色を楽しむ屋形船の別名にぴったりですね。
ちなみに、屋形船を経営する会社のことは“船宿”と言います。
屋形船のイメージは、屋形船は江戸時代の江戸ッ子が楽しんでいるようなイメージがあります。しかし、屋形船の歴史はもっと古く、鎌倉時代にまとめられた万葉集では既に登場し、始まりは平安時代にまでさかのぼります。原型としては、平安時代の貴族たちが遊ぶために使っていたのが始まりのようです。
その後、河川整備がなされた江戸時代に人気が出でて、大名や金持ちの商人などが遊びに使いました。花見や月見、花火見物、宴会など、今の屋形船と使い方は殆ど同じですね。
衰退と復活
大型船の制限など出され、屋形船はかつての勢いを無くしてしまいました。しかし、その制限化の中でも、ひっそりとですが続いていきます。第二次世界大戦後、水質汚染が酷くなり、「水が臭い」「景色が汚い」など問題が起き、屋形船は激減してしまいました。
その後、昭和の終わりごろから、次第に水質も改善し、バブル経済成長の後押しもあり、屋形船の人気も復活し、現在に続いています。
現在の問題
現在の屋形船での問題は、制限地域以外では屎尿の垂れ流しが可能なため、水質汚染となっています。そのため、東京などでは条例等を定めることで、お台場などの遊泳禁止区域の水質改善を図ろうと画策しています。
会議室としての屋形船
現在ではこういう使い方は稀ですが、情報を漏らされたくない、密談をする場合にも屋形船が使われたようです。時代劇では、よく悪代官と商人が密談しているような場面が良く登場します。
東京以外でも乗れる屋形船
現在の屋形船に乗れる場所と言えば、東京の隅田川が有名で、ほかにも浜松、品川等がありますが、東京の河川の他にも、酒田、大阪、名古屋、福岡、大分などでも屋形船の営業があります。意外と色々な地域にあるのですね。近くの方は一度屋形船に乗ってみるのも良いと思います。
屋形船は高いイメージがありますが、リーズナブルなパッケージツアー等も展開されていますし、安い物ならば5000円くらいから楽しむことができます。